大学という組織の一員としては、学生の確保、教育の質の向上、地域との連携など重要案件がいくつもありますが、今年度より学科長を拝命して以来、頭にもたげているテーマは「女子大学の意味」「女子教育とは?」です。
「世の中の大部分は、女の場所ではなくて、女を否定する場所だということ、そして女は、女の場所とは何でありうるかをつかむ必要があるということ - そこに引きこもって庇
護されるのではなくて、力を与えられ、みずからの価値と全インテグリティ体性に確信をもって、そこから前進していけるような場所として。わたしはそのとき、それが意味しているのは美しい寄宿舎ホールや庭園があることではなくて、魂をもつことなのだと悟りました。」(出典:アドリエンヌ・リッチ、大島かおり訳『血、パン、詩。』晶文社、1989年、288-9頁)
フェミニズム批評に大きな影響を与えた、アドリエンヌ・リッチ女史曰く、「女性の大学の魂」そのものが女子大学の意義だとしています。では、これを具現化して学生にどう落とし込んでいくか非常に難しい壁に直面します。
社会が変革し、ジェンダーフリーが叫ばれる現在において、「女性」にこだわる理由は何か? と、正面切って問われると、一瞬、たじろぎます。ただ、自分なりにじっくり考えると、日本だからこそ、女子大学に意義があるかと思ってきています。
世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)が2021年3月、「The Global Gender Gap Report 2021」を公表しました。「経済」「政治」「教育」「健康」の4つの分野から測られた男女格差、ジェンダーギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)を見ると日本の総合スコアは0.656、順位は156か国中120位(前回は153か国中121位)でした。このスコアは、1.000が完全平等を示します。首位はアイスランドの0.892、先進諸国では、断トツの最下位、ASEAN諸国を見渡しても、かなり低い状況です。つまり、日本では、意思決定機関に女性は殆どおらず、女性のための施策が決定しにくい状況になっています。何不自由なく自由に暮らせると思われる日本社会ですが、女性にとって、実は非常に不自由な社会であることが浮かび上がってきます。
不自由な社会だから、女性は活躍できないのか? 女性が活躍しないから、社会が解放されないのか? 鶏と卵の関係を解きほぐすことは、難しいですが、アドリエンヌ・リッチ女史の言われた「魂」を植え付けることが重要なのだと改めて気付かされます。
「魂」=「男性優位の日本社会を泳ぎ渡る力」、この解釈に妥当性があると思って「女子大学」に誇りを持っていきたいと思います。
記事:大久保 剛
Comments